プロフィール

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初めまして、はな です。

こちらでは、50歳を超えて在宅ワークで業し月10万円を稼ぐまでの道のりを綴っていきます。

なぜ複業するのか。その収入を母の介護費用に充てたいからです。

昨年、母が体調を崩して入院し、その後、介護施設へ入居しました。

母の介護費用が想像以上に高額なことに驚き、貯金の残高が減っていくのを目の当たりにして焦り始めました。

このままでは底をついてしまいそうで、何とかしなくてはいけないと感じています。

いつまでも元気でいてほしい母のため、安心したい私のために業で在宅ワークを探し始めました。

そんな私のことをお話ししていきますね。

基本情報

名 前 は な
年 齢 5 3 歳
職 業 事 務 員

学生時代:学歴をあきらめた理由

真面目で寡黙な父と朗らかな母に育てられ小中高の間、九州の田舎で父方の祖母と暮らしていました。

小学生の頃は畑や田んぼの力仕事を手伝ったり、母が仕事に出ていたため食事の準備などもしていました。

中学生の頃「大学に行きたい」と思いつつも男尊女卑の考えが強い環境だったため、親には言い出せずやむなく就職を選ぶことに。

「大学に進学できないなら就職して生きていこう」

高校生になると「事務の仕事がしたい」と考え、少しでも就職に有利になるよう日商簿記2級を取得。

さらに、九州の田舎では思うように収入が増えないと感じ、親に大阪に出ることを許してもらいました。

社会人:仕事も遊びも気楽に楽しんだ日々

念願の事務職で社会人生活をスタート。

当時は寮に入っていたので、給料の低さはそれほど気になりませんでした。

同期の高卒の子が数人いて、平日の仕事も休日の遊びも一緒。

時には先輩たちも含め、大人数でスキーに出かけることもありました。

結婚・出産:予想外の戸惑い

数年後、結婚してすぐに長女出産

生まれた頃は毎晩夜泣きがひどく、眠たい私たち新米夫婦は寝ぼけながら抱っこやおんぶ、ミルクをあげる日々でした。

「ドライブ中に寝ることが多い」ことを思い出し、夜中にドライブしても、布団に降ろした瞬間にまた泣き出す、、の繰り返し。

そんな中、3ヶ月検診で「成長に問題がある」と診断され、成長を促す訓練をする施設を紹介されました。

どんな問題があるかもよくわからないまま毎日通っていましたが、1か月後の再診で

障害があると告げられました「え?障害?なんで?何それ?」

頭の中は、はてなマークでいっぱいになり、すべてを理解するには時間がかかりました。

夫の勤める会社の方から「治せるかも」と紹介された遠くの病院に行ったり、

民間療法を試したり、本を読んだりした結果、健常児になることは難しいと受け入れるようになりました。

社会復帰:ずっと家にいたくない

長女が小学校入学したのをきっかけに軽作業のパートから社会復帰。

毎日通っていた施設にも行かなくて良くなり、空いた時間で収入を得て自信をつけたい、

家にいるだけではもったいないと思い、仕事を探しました。

その後、夫が独立し、私が事務を担当することになったため、一旦は自宅での仕事に切り替えました。

しかし、外に出たい気持ちは抑えられず、IT会社の事務を掛け持ちするようになりました。

母との時間を大切に

そんな中、昨年6月 母から電話があり
「病院で検査結果を聞くのが不安だから、一緒に来てほしい」と言われ、
私は大阪から九州へ飛んで帰りました。

それまで母は「迷惑をかけたくない」と同居を拒み、一人暮らしを続けていました。

子どもとしては少し寂しい思いもありましたが、母が一人の方が気楽なら……と考えていたのです。

しかし、そのときの母の声はとても弱々しく、急に心配になりました。

病院で一緒に検査結果を聞いてみたものの、「原因不明」と言われ、母もかなり不安そうでした。

そこで、「大阪に一緒に行く?」と尋ねると
「うん。もう一人では暮らせない」と答え、そのまま新幹線に乗り同居が始まりました。

同居後も母は食欲不振や体のだるさなどが続き、あちこちの病院を転々とする日々が続きました。

しばらくして入院が決まり、2か月半ほど入院することに。

ようやく回復して退院が見えてきた頃、母から
「老人ホームに入りたい。探してほしい」と頼まれました。

退院後は同居を続けるのかと思っていましたが、母の希望を尊重し、

いくつかの施設を見学して入居手続きを済ませました。

今では「ごはんが美味しい」と言えるほどに元気になり、

母は週3日は私が会いに行くことに安心しているようです。

それでも九州のお友達との時間や趣味のミシンや体操を楽しんでいたところから大阪へ来て

周りの方が親切とはいえひとりの時間が大幅に増えてさみしい表情を見せるときがあります。

私が仕事や家事で忙しいと顔を見せなくなると、ますます暗くなりそうなので回避するためにもなんとか時間を工面しています。

ただ、会いに行く時間が昼間になるため、外に働きに行くのは難しく、在宅ワークを始めることにしました。

業に挑戦

現在は、母の介護費用と、これから自分たちにも必要になる介護費用も含め、在宅ワークで収入を得ようと模索中です。

現在の仕事に加え、娘や母のことで緊急の呼び出しがあるため、決まった時間に出社することが難しい状況です。

そのため、時間や場所に縛られずに働けるオンライン秘書という仕事を選びました。

まずは在宅でできる動画編集を学び始めたものの、興味を失って断念。

次に「他に何かないか」と探していたところ、インスタで見つけたスクールに出会い、

「これならできそう!」と感じて3か月集中コースに入会しました。

インスタ運用代行やオンライン秘書などを学び、

クラウドソーシングで「事務経験20年以上(経理・総務・営業事務)」をアピールしてデータ入力の案件をいくつか受注。

しかし低単価で疲弊してしまい、コース開始当初に立てた

「3か月後に月5万円を得る」という目標はまったく達成できませんでした。

「何か実績を積むか、スキルを身につけて価値提供できることを増やさなくては」

と考えていたところ、WEBスキルを学べるチャンスに恵まれ、思い切って飛び込みました!

これからWEBスキルを身につけて、関連する案件を受けて

月10万円を得るまでの記録を包み隠さず公開していきたいと思います。

まずは母の介護費用を貯金からではなく、収入から出せるよう達成したいです。

介護度が上がると負担額が大きくなるようですので、対応できるよう収入額もアップしていきたい。

最終的には月30万円を得ることを大きな目標にしています。

そうすることで老後の安心を手に入れて、趣味も娯楽も楽しむ高齢者になれると信じています。

50歳を超えて新しいことに挑戦しようとする方に、少しでも役立つ情報をお届けできたら嬉しいです。

もちろん、つまずいて立ち上がり、またつまずき、諦めようかと悩むこともあるかもしれません。

よろしければ、ぜひこれからの記録を見に来てくださいね。